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研究資料明細
[摘要] :
2014年、日本とトルコとの間の原発事業化の協定が締結され、福島第一原発事故後初めての原発輸出の実現に向けて政府間で合意がなされた。日本は世界唯一の被爆国(しかも原爆と水爆両方とも)として、結果的にみれば、原爆反対を訴えながらも、原発推進をしてきた。3.11福島第一原子力発電所事故の前までは、アメリカ、フランスに続いて、世界第3位の54基もの原発を持っていた。経済発展の観点から見れば、原子力発電所によって、地方振興や工業化に必要不可欠な電力供給が成し遂げられ、いわば、原発は高度経済成長を支えていたと言ってよい。しかし、製造業の海外移転によって、ポスト工業化社会に入った日本は3.11福島第一原子力発電所事故の後も、いまだ原発に堅持するのは、電力供給問題のほか、原子力の輸出にも繋がっているだろう。本稿では、戦後日本の原発体制形成の過程を辿りながら、経済的要素のみではない日本の原子力政策の諸側面を考察する。「現在のエネルギーの中心をなす原発の問題は、新植民地主義の典型例である」、と西川長夫(2013「二つの廃墟について」『植民地主義時代を生きて』、頁249、平凡社)が述べているように、原発問題に目を向ければ、一国内の中央と地方のみならず、国家間の中核と周辺との支配・搾取関係も見出せるはずだろう。