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研究資料明細
論文名稱 | 中国語に訳された横光利一文学 |
發表日期 | 2021-03-01 |
論文收錄分類 | 其他 |
所有作者 | 謝惠貞 |
作者順序 | 第一作者 |
通訊作者 | 否 |
刊物名稱 | 横光利一研究 |
發表卷數 | |
是否具有審稿制度 | 是 |
發表期數 | 19號 |
期刊或學報出版地國別/地區 | NATJPN-日本 |
發表年份 | 2021 |
發表月份 | 3 |
發表形式 | 紙本 |
所屬計劃案 | 無 |
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[摘要] :
橫光利一は一九二○~三○年代日本新感覚派の旗手としてだけでなく、台湾、中国、韓国の文学界を風靡した東アジアのモダニストとしても名を残した。その背景には、日本の植民地領有による日本語の普及と、翻訳の流通が介在している。
そこで、横光の文体における多様な革新、また文学技巧の実験は、東アジアの近現代のモダニズム文学を啓蒙し、影響を及ぼし、日本文学史は当然のこと、台湾、中国、韓国などの文学史にも記されるほど貢献をした。
例えば、戦前の台湾では、日本の植民地統治下の政策により、漢文の使用が抑圧され、日本語教育が日本文学を吸収する基礎となり、また日本語による創作が次第に主流となった。劉吶鷗、巫永福、龍瑛宗などが、橫光を含む日本「內地」文壇の動向に注目し、それを糧に、独自の文体を作り出した。
中には、特筆すべきなのは、上海で新天地を求めた劉吶鷗である。彼は翻訳小説集『色情文化』で、橫光の「七階の運動」などの当時の日本の新興小説を訳し、訳者前記で「訳者がここで一つ言わねばならないのが、ここに訳した幾人かの文章についてである。彼らの文章は正統の日本文には属さない。彼らの文章は現代日本の生活に基づいて新しく作り出されたものである。……しかし聡明な読者が読めば、それらを難しく感じないばかりか、逆に新鋭的で、活発で愛すべきものに思われることだろう」 と、読者の読みを誘導している。更にその文体の模作となる中国語創作小說集『都市風景線』を世に出し、横光を継承した正統性を主張した。その後、新聞雑誌では、彼自身を第二の横光、そして、彼に影響を受けた穆時英、黒嬰などの作家を、第三、第四の横光だと称し始めた 。劉自身の戦略が、読書市場に受け入れられ、中国文学史上最初のモダニズム流派を創出した。横光は実にその開祖とも言える地位を占めている。
一方、台湾では、戦前、日本統治下の植民地教育により、翻訳を介さずに、横光を受容していた 。戦後は、日本語世代の文学愛好家、例えば、黃玉燕、劉慕沙が、横光文学を含む、日本文学を翻訳紹介する担い手と化している。小稿は、中国語に訳された横光文学を調査し、「作品別の翻訳状況と回数」を分析し、最も翻訳された作品の同時代評を通して、その横光認識の特徴を解析する。